AHUPUA'A

art#01  2015.7.30

ハワイの民は、すべてアフプア・アの上に成り立ち生きる。

ハワイには古来から伝わる“Ahupua'a”(アフプア・ア)という考え方がある。アフプア・アは島の単位として利用され、ハワイはこの自然の仕組みによって区分され、その上に人々が暮らしている。ひとつの島はアフプア・アの集合体なのである。

雨が降り、それが森にたまる。溜まった水は川となって流れ、海へと広がる。この、山の頂から、川の流れに沿り海へとつながり広がる珊瑚礁までの土地のつながりを、アフプア・アという。100エーカーほどの小さなアフプア・アや10万エーカー以上の広大な土地も、その条件を満たしていればアフプア・アであり、どのアフプア・アにも"ohana"(家族)が過ごしやすく生きていくための食べ物や物資が豊富に存在する。

命の流れがある土地、それが、ハワイに伝わる“Ahupua'a”(アフプア・ア)である。

その時代は約13世紀に遡る。その世紀にハワイにはMāʻilikūkahi(マーイリクカヒ)と呼ばれるオアフ島に住む偉大な長(おさ)が存在した。その時代にはまだ土地の区分けという概念はなく食物などの資源は限られていたため、度々土地の権利を掲げて争いが起きていた。

 

マーイリクカヒは、それはそれは優しく公平な長であった。豊かな資源を求め、集落同士が争うのではなく、すべての人々が豊かに暮らすための食べ物と資源の確保をいかにしてできるかを考えた最初の長である。彼は、集落の長たちに各々の土地について調査をするように依頼。そして、特徴的な岩やコアの大木、川の切れ目や鳥の巣など土地の境界にあたる部分に印をつけていくように指示した。そして、オアフ島はハワイで初めてmoku(地域)に分割されることになった。そして、それがさらに細かく区分されていったのがアフプア・アである。

He hānai aliʻi, he ʻai ahupuaʻa.

 

The rearing of a chief is the ruling of an ahupuaʻa. A person in whose care a young chief was placed was often rewarded with a large tract of land.

 

長を育てるということはアフプア・アを制するということ。若き長を育てた民は広大な土地を与えられたのである。

 

:‘Ōlelo No‘eau #566

アフプア・アはそのユニットに全ての物が富む。正しい管理さえすれば、その中で人々は何不自由なく生きていくことができる。その地域にいる人々は、その土地が与える全ての恩恵を受けることがゆるされ、もし、そのアフプア・アから得ることのできない資源を要した時は、他のアフプア・アの民と物々交換によって生活を充実させていった。

時期や季節、また地域によって得ることのできない物は、将来必要となる時のためにkapuに保存・保管された。

時代は過ぎ、アフプア・アの境界は自然の印によるものからククイの木で掘り出された杭で区切られるようになり、さらに分かりやすく区分されるようになった。それがさらに進化し、私たちに馴染みのある標識という形になり、新しいアフプア・アに入り込む目印となっているのだ。

 

マーイリクカヒは6つの区分に分けられたmokuに存在した長に土地の調査を指示した。この6人のmokuの長をaliʻi ʻai moku(アリイアイ・モク)とと呼ばれていた。そのさらに小さな区分であるアフプア・アを指揮するのはaliʻi ʻai ahupuaʻa(アリイアイ・アフプア・ア)という。彼らの集落が自給自足できるということを管理監視するのが彼らの責務であり、konohiki(司厨・マネージャー)が加わり日々のアフプア・アでの民の生活が豊かであることを確かめたのである。最下位の位はkaukaualiʻi(カウカウアリイ)といわれ、司厨はこの階級から最上級の長aliʻi nui(アリヌイ)までとも関係を築き、漁師や農家の指導者として管理をしていた。

このシステムで、アフプア・アの自然と人々が常に豊かで健康であり続けることに総力を注いだのである。

アフプア・アは大小問わず全ての区分に名がつけられた。それは「魚の池」や「タロイモの地」など覚えやすく土地の特質にあった名前がつけられていった。アリイたちはその名で自分の土地の形状や特質、場所や集落の位置把握を測った。一番大切だとされた資源である「wai(水)」は、今でも各地の名に存在している。例えば Waialua(ワイアルア)などがあるが、オアフのWaimea(ワイメア)はmea(赤)の土の大地が、大雨の後川に流れ出すところからこの名がつけられたという。

アフプア・アは現在でも当時の名前を受け継ぐ地域が多く存在するが、もちろんモダンな名前に変化した土地も多い。ただ、名は変われどもアフプア・アという考え方は強く根付き、町としてアフプア・アが合併し形状が大きく変わってもシステムは土地の性質は変わっていない。

しかし、交通手段も良くなり多くの人々は自分の生まれ育ったアフプア・アで働き生計を立てず、盛り上がりを見せる都市に移動して働く。必要なものは他のアフプア・アで購入し、さらにはアフプア・アの概念を忘れ他国のものを愛用することもある。

もちろん時代の流れの中でそれは悪いことではないし、さらに豊かに生活するには必要な行動だが、やはりアフプア・アという概念に今一度立ち返り「その土地に住んで働く」というシステムを大切にすることによって、自身の住まうアフプア・アがさらに豊かに自然の上になり立っていくのではないかと思う。

 

日本にも「里」という似たような考え方がある。

人々の生活が自然の上に成り立つといった考え方は、島国ならではの特別なものなのかもしれない。大切にしないといけない考え方というのは、その土地を愛する人々によって続けられるべきものなのだ。

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